ニッポンの女子力<5>社会貢献 生活保護を受けながら  貧困から子ども救う

愛知県内で昨年二月に開かれた多重債務問題の相談会。うつむき加減の三十代男性が重い口を開いた。「娘を小学校に行かせていない」。相談員として耳を傾けていた前田淳子さん(55)=名古屋市緑区=は一瞬、言葉を失った。

 「収入がなくても子どもは学校に通わせないといけません。手続きをすれば公的な援助も受けられます」。前田さんは、努めて冷静に優しく諭した。男性は「そうなんですか」と、力なく答えるだけだった。

 男性は仕事で負ったけがで働けないという。妻も交通事故の後遺症に苦しみ、世帯収入はない。男性はそれまでに何度か相談会に足を運んだが、長女が学校に通っていないことが一年近くも見過ごされていた。前田さんが「お子さんは今どうしているの」と尋ねるまでは。

 長女は一昨年四月に、ランドセルを背負って小学校に入学するはずだった。登校しないことに、行政も近所や親族も気付かなかった。いや、気付いていても、傍観したのか...。多重債務に悩む男性が、プライドからか世間との関係を断ち、耳をふさいでいたのかもしれない。

 「『そんなことがあるのか』と、普通は思うかもしれない。だけど、多重債務者にはよくある」と、前田さんはため息交じりに話した。実は、自らも多重債務に苦しんだことがある。男性の置かれている状況は、人ごとではなかった。

 慢性膵炎(すいえん)に免疫系の疾患も抱え、定職に就けない前田さんは、独居で生活保護を受けている。それでも、多重債務問題に取り組むNPO法人「愛知かきつばたの会」などの相談員をボランティアで七年間続けてきた。きっかけは「あなたの体験が役に立つから」との一声だった。

 前田さんの夫は繊維関係の自営業者だった。それが、安価な海外製品に押されて経営難に。運転資金もままならず、借金は一千万円にも達した。ヤミ金融からの借り入れも。わずかな収入は右から左へと消えた。深夜、早朝を問わない激しい取り立ての恐怖と疲労で、心身ともにすり減った。限界に達して、八年前に離婚した。

 四人の子のうち、働いていた上の三人の親権を前夫に譲り、三男を引き取った。だが、慢性疾患で就職できず、前夫からの養育費もない。やむを得ず生活保護の世話になった。

 「最初に住んだのは倉庫。炊事場がないので、三男の弁当に入れる卵焼き一つ作ってやれなかった」と唇をかむ。まるで、自分を否定されたかのような喪失感。それでも自分だけなら我慢できたが、ふびんでならなかったのが、まだ中学生の三男だった。

 前田さんは父親を早くに亡くし、母子家庭で育った。その体験が、三男にも重なった。経済的に脆弱(ぜいじゃく)な母子家庭は、明らかに社会弱者。その中で、子どもはさらなる弱者である。

 長引く景気低迷に、全国の生活保護の受給者が昨年、二百六万人を超え、戦後の混乱期をしのぐ過去最多を更新した。東日本大震災や福島原発事故の影響で、今後も増加が見込まれる。

 前田さんの三男は、幸いにも夜間高校を卒業、介護職に就けた。だが、母子家庭や生活保護世帯を前にすると、どうしても不安げに親を見上げる子どもの姿が頭に浮かぶ。相談者の前田さんの口癖は、「お子さまは?」。その相手の向こう側に「貧困の犠牲になっている子どもがいないか」と。

 たった月に二、三度の相談員なのに、生活保護を受けながらのボランティア活動には、自治体の担当者から「そんなことができるのなら、働けるのでは」「生活保護を止めましょうか」とも言われる。それでも、貧困を知る母親は、多重債務者と向き合う。それが「せめてもの社会貢献」と信じているからだ。

 人生の歯車は、ちょっとしたことで狂い出す。前夫の家業がそうだったように。「絶対に人生を投げ出さないでほしい」「家族の悲しみを増やしたくない」と繰り返した。 (林勝)

 <メモ>母子家庭 厚労省の2006年の調査によると、平均的な母子家庭は母親が39.4歳で子どもは1.58人。就労率は8割を超えるが、パートなどの非正規雇用が正規を上回り世帯年収は213万円。全世帯平均の4割以下。離婚の増加などで120万世帯を超えた。低収入が影響して子どもの教育問題が深刻化。生活保護の母子家庭の子どもは4割が生活保護を受けるようになるという調査もあり「貧困の再生産」も問題。

●取材を終えて
 台所の食器棚の上に、少しぼやけた若い男性の写真が飾られていた。故郷の長崎で亡くなった前田淳子さんの父親の遺影。享年42だった。「私だって、つらい時は写真を見て泣くんですよ」。郷里にいる84歳の母親は3人の子を懸命に育てた。当時は、女性では珍しいトラックの運転手もした肝っ玉母さん。「弱みを見せない。泣き顔一つ見せんかったよね」。スッと、淳子さんはいつもの笑顔に戻った。

引用:中日新聞 2012年1月7日(土)

豊中市障がい者市民の会

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